伊藤先生のこと

私は生意気で扱いにくい学生だったと思う。当時(今も?)「私の辞書に忖度という文字はない!」という感じ。忖度という言葉を知らなかったけど。教えを乞うという気持ちがなかったから何を言われても「そういう見方もあるんですねえ」とスルー。伊藤先生もイラついただろう。学校という枠は大好きだったのに大人の事情に反抗的だった。申し訳なかったなあ。

何百人もいた教え子のうちの一人でしかなかったけれど、私にとっては特別な先生。いやゴメンナサイ教師としてはやっぱり理解不能だった。人としての血の種類が違うというか、、、でもガラス作家としての感性や技術は今でもものすごく尊敬している。

一つの分野において学び始めた時の影響は大きい。ぬぐいたくてもぬぐえないほど濃く染みつく。「ガラス界の多摩美臭」と言われた根源は伊藤先生が発していたんだな。

箱の中で横になっている伊藤先生はあの頃とほとんど変わっていなかった。久しぶりに会った人たちはまるで一斉に玉手箱の煙を浴びたみたいに老けていたのに。

留学生だったジェームス=ミンソンが作った人の形のオブジェは今私のアトリエの壁でぼ~っとしている。モデルは伊藤先生なんだって。「ナイショだよ」と言っていたけど、もういいよね。いつまでもそこから「まったくおまえってヤツは」って呆れててくださいませ。

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