お札の話

新紙幣に替わるたび大騒ぎになるけれど、少しすると前のデザインを思い出せない。大人になったんだねえ。

子どもの頃は一万円といえば聖徳太子。いかにも大金だった。次の福沢諭吉に替わったのが1984年だって。たしか翌年アメリカのピルチャックガラススクールのセミナーに参加した。出発前、一緒に住んでいた祖母の部屋に呼ばれ箪笥の奥から5人の聖徳太子様を渡してくれたんだった。ピンピンの旧札だったのがなんか泣けた。それでも旅の途中で現金が足りなくなり太子様ご一行はシアトルの銀行でドル札に。窓口のお姉さんがうっとりと「So, beautiful !」と言ったっけ。辛い別れだったなあ。

次の世代では新渡戸稲造の5000円札。制作活動をはじめて一人暮らしにもなってなんだかいろいろ辛くなってた時期。コーヒーカップを工房の床にたたきつけて寝室にこもってるのを父に見つかった。そして唐突に5000円札を差し出された。「そこのスーパーで全部使って買い物してこい。けっこうスッキリするぞ。俺もよくやる」と。

何買ったんだっけ。

生きてる父との最後の場面もその手に5000円札があった。2007年だから樋口一葉かな。叔母の葬式が終わり葬儀場を出る時に「ケチケチしないでタクシー使え」と渡された。私は何て言ったんだろう。「ありがとう」とは言ったはずだけど、まさか一生分の感謝の言葉ではなかった。

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